日常生活の当たり前、その「当たり前」について考えたことはありますか?
その「当たり前」を漫然と享受していませんか?
当たり前になるにはそれなりの理由があるのです。
以前には「消しゴムで書いた文字が消えるのは何故か?」という記事も書きました。
「大電流の雷に打たれても生存率は結構高め」なんて記事も書きましたね。
今回は第3弾として、「なぜ改札の切符を入れるところは右側にあるのか」について解説します。
全国統一で切符の入れ口やICカードのタッチが右側にあるのは…
これは「右利きの人が圧倒的に多いから」です。
右利きの人は統計データでは約90%、左利きは約10%とされています。
(ちなみに、両利きは50人に1人(約2%)と言われているようです)
90%と圧倒的な割合で右利きなら、当然ですが物を作る際は右利きの人が使いやすいように作るのは道理ですね。
もちろん、両方に切符の入れ口を作ることも技術的には十分可能です。
なにせ、同じ機構を両側に配置して連動させればいいだけですからね。
ではなぜそうしないのでしょうか?
これは「コスト」と「スペース」の問題です。
当然ですが、両側対応にすれば部品点数も多くなり、大きさも大きくなります。
コストとスペースが多くなれば、駅の改札口は大きくなりますし、導入費やメンテナンス管理費用も多くなります。
コストは会社にとって一番大きな問題ですが、駅のスペース問題も相当の重要要素です。
利用者の多い駅ではそれだけ改札も大きいです。
もし両側対応で1つの自動改札機が2倍の大きさになったらどうでしょうか?
今まで8台の改札機があったのに4台になり、利用者が変わらないとすると…
駅改札口は大渋滞になりますね。
これでは駅は混乱にい陥る危険性があるわけです。
なぜ右利きの人が多いのか?
そもそもですがなぜ右利きの人が多いのでしょうか?
学説によると親の遺伝(遺伝説)が大きいようです。
ただその遺伝説でも結構な割合で左利きで生まれる確率は高く、到底統計上の「左利きは約10%」になりません。
これは「左利きで生まれても、右利きに矯正させる人が多い」からです。
上記の改札の例然り、世の中は右利き中心のものが多いです。
なぜ右利きが多くなったのか?
上記で「利き手は遺伝要素が強い」と説明しましたが、そもそもなぜ親をはじめ右利きの人が多いのでしょうか。
これは「文字書き」が原因であるとされています。
現在は「左から右に書くことが主流」です。
昔の日本は原稿用紙をはじめ「右から左」に書いていたのですが、物理や数学など西洋画先進的だった要素が日本に入すると、「左から右」が主流となりました。
(余談ですが、第2次世界大戦の戦時中でも海軍は洋式中心(左から右)だったのに対し、陸軍は和式中心(右から左)と聞いたことがあります)
なぜ西洋では左から右に書くことが中心になったのか
楽譜然り、定理などの方程式しかり、西洋のものはとにかく「左から右」のものが多いです。
この理由は、「インクで書くこと」が理由に挙げられます。
考えてみてください。
もしインクを使って文字を書く際に「右から左」に書いていると「インクが渇く前に手が触れてしまいます」。
今でこそ速乾性のものや、ボールペンなど様々な筆記用具がありますが、昔にそんなものはありません。
液体の墨やインキで文字を書いていました。
右から左に書いていると文字が擦れて滲んで読めなくなってしまいます。
しかし、左から右に書いているとその心配はないですね。
加えて、ここで書く手を考えてみます。
右手であれば「書いた文字を見つつ、次の文字が書けます」。
左手であれば「書いた文字が手で隠れてしまいます」。
右手で書くと効率的に文字などが書けるわけですね
こうした理由から、「左から右に書く。そして書く手は右手」が主流になったわけです。
全ては筆記効率の問題だったわけですね。
左利きの人は右利きに比べて寿命が短い
自分が高校の時、国語科担当の教員が言っていたことです。
「日常生活は右利きの人が多く、右利き中心のものが多いので非常にストレスがたまる。聞いたところによると左利きは右利きより10年は早死にする」と言っていました。
事実、1991年にアメリカとカナダの研究によって統計が取られています。
死亡者987人の利き手に分類すると、右利きが平均年齢75歳だったのに対して、左利きは平均年齢66歳と「9年」の寿命差があったようです。
この国語科教員の説明は正しかったというわけです。
今でこそ昔に比べて「ユニバーサルデザイン」が広まり、右利きと左利きの生活差は埋まっていますが、上記の通り未だにインフラなどでは差が埋められずにいます。
余談:ユニバーサルデザインとは
ユニバーサルデザインとは「誰でも使いやすいデザイン」という意味です。
「ユニバーサル」は「全ての人にとっての」という意味を持ちます。
ここでは利き手の問題だけではなく、身障者や年齢差など「老若男女、健常者/身障者など問わず、あらゆる人」を表します。
まとめ
こんな風に、日常には当たり前に使っているものが「ちゃんとした理由で成り立っている」というわけです。
物事には必ず理由があるのです。
皆さんにも当たり前の日常を探して考えてみてはどうでしょうか?
他にも面白い「当たり前」を見つけたら考えて記事にしていきます。