2024年、埼玉西武ライオンズは打撃力に不安はあるものの前年の投手力を軸にすればAクラスは行けるだろうと推測されていました。
しかし蓋を開けてみれば、交流戦を前にした5月26日に松井稼頭央監督が休養に入り、変わってGMの渡辺久信(通称:ナベQ)が監督代行として入ったことで風向きが変わるかとも行きや
交流戦成績:4勝14敗(最下位)
交流戦直後の成績は
19勝44敗0分
借金は6月中盤にして既に「借金25」です。
借金25
借金25
借金25
交流戦直後の時点で、20勝未満の唯一の球団(40敗以上も唯一)
勝率も3割ギリギリの.302…!
チーム打率も.202と1割台がすぐそこに見えています。
当時のシーズン終了間際には「記録を塗り替えるシーズン104敗もありうる」とスポーツ新聞で囁かれていたほど弱かったです。
なぜ、これまでに負けが込んでしまったのでしょうか。
【追記履歴】
2024年6月21日:リーグ戦再開の6月21日の試合結果追記
2024年6月23日:高橋光成の球団新記録となる開幕8連敗を追記
原因その①:野手陣の不振
これが最も大きな理由です。
とにかく2018年から
浅村
森
山川
など主軸となる打者についてFA流出が相次いでいました。
(他に秋山もMLBを経て広島にNPB復帰。西武には戻ってきませんでした)
最近は通算本塁打記録などを塗り替えている40歳となった中村や、巧打者の栗山などベテランもベンチスタートになっており、野手陣の交代が厳しい状況です。
実際に打率1割台や1割未満の野手がスタメンに座るなど試行錯誤の状態が続いています。
交流戦後のチーム野手成績は
打率:.202(12球団最下位)
本塁打:28(うち中村がトップの7)
得点:143(12球団最下位。次点でセ・リーグの中日ドラゴンズの159)
と圧倒的に打てず、得点できていません。
これでは投手陣がいくら好投しても野手が打てず無得点が多くては勝てるわけがありません。
原因その②:投手陣の不振
MLB挑戦も視野に入れているエース・高橋光成(たかはし こうな)が開幕後9戦で0勝7敗と全く勝てなくなっています。
防御率は9戦時点で「4.32」(50回を投げて失点28、自責点24)と良くありません。
野手陣の得点は143に対し、失点は231(6月16日時点。12球団中11位。ワーストは楽天の244。これは5月21日の21-0、続く12-0の2戦で33-0を記録したのが大きいです)と投手陣も崩壊しています。
クローザーもソフトバンクに移籍した山川穂高の人的保障として甲斐野央(当時は和田を取るなど話題になりましたね)を獲得しましたが、下で調整が続いています。
原因その③:不調で入替など選手の駒不足でスタメンが固まらない
さらに投打がかみ合わず、試行錯誤が続いており、あまり下で成績を残していない選手が支配下登録されたり、1軍でスタメンをはったりなど、全く打順などが固まっていません。
試行錯誤すること自体は過去の日ハムでもありましたし、他の球団でもよくあることなので別段珍しくないことです。
しかし、西武の場合は
「特に成績を残していないのに1軍スタメンになる」
「結果を残せず打順がコロコロ変わる」
「少しの不振で2軍降格」
など総合的に見て
「育成をしたいのかもわからない」
「単なる埋め合わせでスタメンを決めているようにも見える」
という状態です。
まさに暗黒期を象徴するような采配です。
シーズンチーム月間勝敗数
3月&4月
8勝18敗0分
出だしこそ5戦で4勝1敗と投手陣の好投で勝っていましたが、4月9日から4月17日まで7連敗、4月18日に勝利して連敗脱出したものの、そこから4連敗、また1勝して4連敗と全く光明が見えませんでした。
さらに4月27日~29日で対ソフトバンク戦で3試合連続サヨナラ負けを喫し、うち2試合は延長戦のもので、2023年シーズンから続く延長戦の連敗が15に伸びてNPB記録となりました。
(この記録は翌月5月4日に対ソフトバンク戦の延長10回でサヨナラ勝ちを決めて終止符が打たれました)
5月
9勝14敗0分
5月14日~5月14日に8連敗を記録しています。
3連勝が月頭の5月1日~5月4日のみでした。
上記の通り、松井監督が交流戦前に休養に入りました。
6月(6月16日の西武の交流戦全日程終了時点)
2勝14敗0分
上記の通り交流戦は12球団最下位です。
途中6月2日から6月11日まで8連敗を記録して、3ヶ月連続7連敗以上という不名誉な記録が生まれました(西鉄時代以来のシーズン3回7連敗以上)。
渡辺監督代行でもチームは好転せず、借金が10増えました。
交流戦のチーム打率も.171と12球団唯一の1割台の結果となり、当然で最下位です。
<6月16日時点でのパ・リーグ球団成績>
更に珍しいことに、6月18日時点で12球団唯一「引き分け0」となっています。
延長戦では必ず勝敗が付いているというわけですね。
ここにも注目したいですね。
2024年シーズンの主な負の記録
6/21の試合(リーグ戦再開・対オリックス戦)
この日は「0-2」でオリックスに完封負けを喫しました。
これで3試合連続の完封負けで、32イニング連続無得点です。
1点ビハインドの5回、1死1・3塁の同点チャンスで源田がカウント2-0からのスクイズが成功せず、得点ならずでした。
これにより、1964年の球団記録である31イニング無得点を更新する結果となりました。
無得点試合も
1964年8月2日~4日
1970年6月23日~26日
2009年8月26日~28日
以来の3試合連続無得点試合と球団ワースト記録に並びました。
なおこの記録は、次の試合の1回に得点したことで、32イニング連続で止まりました。
参考:NPB記録
連続無得点試合:1953年・大映ユニオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)。5試合連続
連続イニング無得点:1953年・大映ユニオンズ(同上)。59イニング
6/23の試合(高橋光成、球団新記録となる開幕8連敗を記録)
西武先発投手の高橋光成が開幕8連敗を喫しました。
これは球団記録である7連敗を更新する球団ワースト新記録です。
2回に2者連続四球の後、死球を与えて1死満塁となって犠牲フライを浴びて1失点します。
なお、高橋はこの試合(10試合)含めて3回まで無失点に抑えたことがありません。
この日は3回64球で被安打1、2奪三振、5四死球という制球難を露呈し早期降板となりました。
監督も「これ以上投げても更に失点するだろう」と見切りをつけられた試合でした。
この試合前までに高橋光成の各イニングの失点状況は以下となります。
1回:2点
2回:5点
3回:14点
4回:1点
5回:2点
6回:3点
7回:1点
(8回以上投げた試合は無し。総合計28失点)
28失点中14失点が3回という「3回に崩れやすいタイプ」です。
(3回までなら28失点中21点という状況)
結果、10試合10先発0勝8敗となり、この日に監督が「2軍降格も考える」と発言しました。
→6/24に陽川ら4人とともに2軍降格となりました。
原因は色々あるでしょうが、1つはメジャーを見据えての増量でしょう。
(他にはオフシーズンでビデオでの癖を見抜かれたりなどが考えられます)
もともと体重105kgだったのとさらに増やして112kgとなっています。
大幅な増量は投球フォームの崩れを起こすと言われています。
メジャーで即活躍できるために、早めに準備をしていたと推測しますが、これが裏目に出たと思われます。
事実として上記の通り序盤3回までの失点が非常に多く、クオリティスタート(6回投げて自責点3以下)が10試合中3回と安定感を欠いています。
参考:球団記録
過去に開幕7連敗を喫した球団投手
1964年:安藤敏雄
1972年:高橋明
6/23時点のチーム打率
前試合より1厘下がって「.201」となりました。
この数字は1951年の2リーグ制以降で見れば国鉄(現・ヤクルトスワローズ)が記録した数字と同じワーストタイの数字です。
※ワースト記録の正確な数字は「.20095」
パ・リーグのみに限れば大映(現・千葉ロッテマリーンズ)が記録した「.213」と、パ・リーグワーストを更新する記録です。
野球規則や球団戦力格差が激しかった1リーグ制を含めても1943年の大和軍(消滅球団。1937年~1943年まで存在)が記録した「.180」です。
いかに貧打にあえいでいるかが分かります。
かつては「山賊打線」とも言われた打線はもう見れないのでしょうか?
過去には3番・秋山幸二、4番・清原和博、5番・オレステス・デストラーデと並び相手を恐怖させた「AKD砲」のような打線は再来しないのでしょうか?
まとめ
以前のヤクルトの記事でも書きましたが、「どんなに弱いチームでも3割は勝つ」と言われているのはご存じでしょうか。
もともとは「パワポケ11」の1シーンなのですが、実際のセイバーメトリクス(出典はこちら)の計算上でも「どんなチームでも勝率は.294以上になる」とされています。
※チームに十分な選手数(=怪我人や不調な選手に変わって試合ができる選手)がいて、シーズンを全試合戦えるという前提の計算です
つまり、十分な戦力があったうえで全試合戦ったのに、勝率を3割切るというのはあまりにチーム全体の選手が不調すぎる、あるいは適正な采配がされていない、コーチ陣の育成が不十分などと考えられます。
余談
現代野球から見れば参考程度にしかなりませんが、戦前の1リーグ時代には勝率3割未満はざらにありました。
なんなら、「勝率.000(シーズン1勝すらもできなかった)」球団もあります。
これは「大東京軍」という球団で1936年に記録されています(0勝13敗1分)。
※東京巨人軍(現・読売ジャイアンツ)とは名前が似ていますが一切無関係です
その後は
ライオン軍(1937年秋~1940年)
朝日軍(1941年~1945年)
パシフィック(1946年)
太陽ロビンス(1947年)
大陽ロビンス(1948年~1949年)
松竹ロビンス(1950年~1952年)
大洋松竹ロビンス(1953年・開幕直前に大洋ホエールズと対等合併)
と変わっていきます。
その後は現在の横浜DeNAベイスターズになっていますが、前母体の松竹ロビンスが吸収されたということで「消滅球団」となっています。
1リーグ制の時代はドラフトもなければ試合数(1シーズンが10数試合しかないときも何回もありました)も少なく、戦争の時代もあって選手層の格差が激しすぎて強い球団と弱い球団に完全に分断されていました。
よって、1リーグ制の記録は「参考記録」とされることが多いです。
埼玉西武ライオンズの今後について
現状、西武ライオンズは交流戦を終えて残り80試合ありますが、
「24勝56敗」
となった場合に、シーズン100敗に到達します。
単純に1勝3敗ペースでいけば到達してしまいます。
もし、チーム状態が好転しないのなら、このペースで負け続けて「100敗も十分ありうる」とも言われています。
既に勝率3割切り(パ・リーグ再開初戦を落とした場合、勝率3割切り)が見えていますが、今後の西武ライオンズに注目です。
【6月21日追記】
リーグ戦再開初戦を落として19勝45敗で勝率「.297」となり3割を切りました。
遂に勝率2割の域に到達してしまいました。
(なお、6月21日の時点でライオンズを除く11球団で勝率ワースト2位はセ・リーグのヤクルトと中日の28勝33敗で同率「.459」です。3割どころか他の11球団は全て勝率4割5分以上なのです)
得失点差も143得点・233失点となり「-90」というあまりの惨状です。
(6月21日時点で12球団ワースト2位の得失点差はセ・リーグの中日ドラゴンズで、160得点・210失点の「-50」です。ぶっちぎりのワースト1位です)