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【教員の大変さ】「教員免許更新制度」は意味があったのか?【穴だらけの制度】

自分は教員免許(正式名称:教職教員免許状)は持っていません。

ただし、「教員免許取得一歩手前」まではいきました。

ちなみに、取得予定だったのは数学一種免許です。

※一種は4年制大学で56単位の取得が必須、二種は短大や専門学校で42単位の取得が必須

あとは「教育実習」にいくだけで教員免許が取れる、という段階で教員免許取得を断念したのです。

 

教育学概論や数々の教職に必要な単位を苦労してまで取ったのになぜ直前になってやめたのか書いていきます。

 

<教員免許の例(出典)>

 

 

 

 

取得しようとしていた時期が…

教員免許更新制度」というのはご存じでしょうか?

現在は廃止された制度ですが、かつて存在した制度です。

 

目的は「教員の質や能力の向上」を目的としたものです。

2000年前後に教員であるにもかかわらず、中学高校レベルの数学ができない教員が少なからずいることが問題視されていました。

2000年代前半から教員の質の低下から検討され、2009年4月に時の民主党政権時代に導入されました。

 

この時はまだ大学に入っておらず、さほど深刻に考えていなかったのですが、後にその制度の深刻さを思い知るようになりました。

 

 

 

教員免許更新制度の難点

この制度はいくつも難点を抱えたまま施行されました。

もともと制度に穴があると言われていたのですが、十分に検討されないまま施行されたと言えます。

 

 

自腹で何十時間もかけて講習を受ける必要がある

これが最大の難点と言えるでしょう。

ただでさえ現職教員は多忙です。

月100時間以上の残業は当たり前、残業代とよれるものは古い昭和の時代のままから令和になっても変わらず固定で雀の涙、加えて最近は小学生でも英語や情報などの教育も担当しないといけない状況です。

 

そんな自由時間がない中で「有休を取って自腹で何十時間もの講習を受ける」という時点でおかしいです。

政府や専門委員会はこの点を十分に検討したのかと疑問に思われます。

おそらく現場を知らないお偉方が「こうあるべきだ」だけ、理想論で検討して作られた制度なのでしょう。

 

 

免許を持っていれば現役教員でなくても対象

自分の場合はこれが決定打でした。

そもそも自分は「教職に就くことなどさらさらなかった」のです。

教員の仕事のつらさは自分が小中高と進む中で見てきていましたし、そもそも自分の肌に合う職業でないのは自覚していました。

学校という閉鎖された空間、民間企業のように内部で異動できない(せいぜい学年が変わる程度)、親などの対応もコミコミ、その上毎日夜遅くまでサービス残業

まあよほど強靭な精神と体力がないとやれない職業ですよね

 

 

ではなぜそれがわかっていたのに免許を取得しようとしたかというと

①大学の授業料がタダ

②単純に学問に興味があった

③万が一の保険(民間企業を辞めても使える保険資格)

という考えに基づきます。

 

 

大学の授業料は成績優秀者を大学院時代含めて6年間維持していたので、道楽で単位を取りまくっていました。

 

 

教職の単位については成績は出るものの、GPA制度の対象外(任意取得科目のため)というのもあって成績に影響しないので趣味で取り始めました。

まあその代わり、1週間のスケジュールが朝1限(朝9時)から5限(夜18時過ぎ)まで講義で埋まるという勉強漬けの毎日でしたが後悔はしていません。

唯一の後悔は友人と遊ぶ時間がなかなか取れなかったという点でしょうか。

 

 

3つ目の保険の意味合いが一番強いです。

もし万が一のことがあったときに、学校に就職できなくても、塾などでその免許の優位性は若干ではありますが有効です。

これを考えて取ろうとしたのです。

ただ、現職教員以外にも制度を適用されるので、民間企業にいる場合は有休を取って講習を受けないといけないのです

これはやっていられないですね。

 

 

 

そして制度は廃止へ…

数々の課題と多くの不満、有効性が見えないなど穴だらけだった教員免許更新制度は、2022年7月1日をもって廃止となりました。

2009年からたった13年間という短さで何の意味も持たない制度は終わりを告げました。

 

もし自分が大学在籍期間にこの制度がなければ、そのまま教育実習に行って教員免許を取っていたことでしょう。

 

一方で何があっても教員になることはない、教員免許を行使するときは絶対に来ないであろうことを考えると、僅かではありますが時間を無駄にせずに済んだことはメリットだったのかもしれません。