本日はいつもと趣向を変えて、日本歴史について書いていこうと思います。
自分は大の歴史好きです(バリバリの理系でありながら、進路指導されたときは文系適性があると言われ、歴史の授業では資料集ばかり読んでいたほど)。
日本の歴史は縄文時代から始まり、奈良時代や平安時代の公家政治から室町幕府から江戸幕府までの武家政治、明治維新を経て近代へと至ります。
皆さんは色々好きな時代はあるでしょうが、やはり最も人気があるのは「戦国時代」でしょうか。
中国で言えば、春秋戦国時代、三国時代など色々ありますが、やはり魏、呉、蜀の三国時代が好きな人が多いでしょうね。
歴史に詳しくなくても、劉備や孫策、曹操といった代表的な名称を知らないという人は少ないと思います。
話を戻しまして、どの国でも争いは絶えず、そのたびに武に秀でた、あるいは智に秀でた人物が後世にまで名を残しています。
争いが多ければ多いほど、長ければ長いほど、皮肉にもその人物の数は多くなります。
今回は日本の一大戦乱の時代である戦国時代、その中で個人的に最も好きな「武田家」について紹介したいと思います。
真田十勇士とは
いきなり出鼻をくじいてしまいますが、端的に言ってしまうと「真田十勇士」というものは存在しません。
つまり、架空の人物で構成された作り話です。
主君である真田幸村は確かに実在した人物ですが、その配下とされる十勇士は現存する遺物に記されていないものとなります。
ただ、「全員全く存在しない、完全創作もの」かと言われると、多くに疑義が残るとされています。
「この人物は実在したこの人物をもとにしているのでは」や、「この人物は存在した」と虚実入り混じるものとなっています。
ただ1つ確実、もとい誰が書いた創作物でも共通しているのが「同じ10人」ということ(十勇士なので当然ですが)、「ヒーロー物語」ということですね。
大坂の陣で敵対する徳川連合軍に対して、猛々しく戦い、華々しく散ったというのはどこもきょうつうするものとなります。
真田十勇士一覧
それでは、その華々しい十勇士を紹介しましょう。
猿飛佐助(さるとび さすけ)
はい、実在しない人物とされていますが「聞いたことがある!」という方は多いのではないでしょうか。
十勇士の筆頭とされ、忍術使いのエキスパートとされています。
まさに忍者の中の忍者、彼の者にかかればどんな人物もその忍術に翻弄されると設定されています。
佐助=忍者というイメージはここが由来です。
戸沢白雲斎という「甲賀流」忍術のプロに弟子入りして、その才覚を認められ奥義を託されました。
大坂夏の陣で敗戦後、真田幸村とともに薩摩へと落ち延びました(そもそも幸村が薩摩へ落ち延びたというのは俗説であり、自ら首を刎ねて敵に手柄として渡し、自害して果てたというのが一般らしいです)。
霧隠才蔵(きりがくれ さいぞう)
猿飛佐助と同じ忍者のエキスパートです。
ただし、こちらは伊勢国の「伊賀流」忍術の頭領である百地三太夫の弟子という設定です。
また百地三太夫も架空の人物とされています。
百地三太夫は、盗賊・石川五右衛門(釜茹でにされたという逸話。ルパン三世の石川五ェ門のモデルでもありますね)に忍術を授けたとも設定されています。
似た名前の武将で「百地丹波(ももち たんば)」という人物が存在しますが、関連性は不明とされています。
大坂夏の陣の後の行方は不明ですが、豊臣秀頼とともに脱出したともあるそうです。
三好晴海入道(みよし せいかい にゅうどう)
入道と名前にある通り、仏門に入った僧です。
ただの僧とあなどるなかれ、その怪力と勇猛ぶりは十勇士トップクラスとされています。
下記の三好伊三入道とは兄弟で、晴海が兄、伊三は弟という設定になっています。
大坂の陣では徳川連合軍相手に兄弟で奮闘し、戦死したとされています。
三好伊三入道(みよし いさ にゅうどう)
三好伊佐入道とも書かれているようです(読みは同じ)。
上述の通り、晴海とは兄弟で、弟にあたる人物です。
薙刀の名手で、兄とともに徳川連合軍相手に奮戦し、戦死したとされています。
穴山小助(あなやま こすけ)
身体的特徴が似ていたことから、真田幸村の影武者となり、徳川猛将の包囲をかいくぐり家康の本陣まで攻め入ったほどの猛将です。
残念ながら徳川家康を討ち取ることは叶わず、壮絶な戦死を遂げたと設定されています。
上記忍者エキスパート2人と比べると知名度は落ちますが、「影武者として幸村に命じられる」、「徳川家康の本陣まで猛進する」という信頼と猛将ぶりは特筆するべきものだと思います。
由利鎌之助(ゆり かまのすけ)
名は体を表す、とはよく言った通りです。
名前の字の通り、鎖鎌の使い手とされています。
元は、野田菅沼家(のだ すがぬまけ)の家来であり、真田幸村とは敵対する立場でありましたが、上記穴山小助との一騎打ちで負け、以降は幸村らと共にすることになります。
他の十勇士に漏れず、徳川連合軍相手に糞制したとされています。
こちらは実在した人物とされています。
筧十蔵(かけい じゅうぞう)
鉄砲の名手であり、元は身分が低い出身なものの、幸村の父・昌幸に才覚を見出され取り立てれたとされています。
大坂夏の陣以降は、幸村ととともに薩摩へ落ち延びたとされています。
根津甚八(ねづ じんぱち)
元は海賊の首領という、他の十勇士とは一風変わった設定になっています。
大坂の陣では、徳川連合軍の九鬼水軍(くきすいぐん。伊勢、志摩国で名を馳せていた水軍)の見張りを任され、また穴山小助と同じく影武者をになった設定になっています。
大坂の陣で徳川連合軍相手に討ち取られ、戦死した設定になっています。
海野六郎(うんの ろくろう)
真田十勇士では最古参の人物であり、最古参というためか気位が高く、知将で幸村の参謀役という設定になっています。
W六郎の1人で、個人的呼び名では「海の六郎」。
大坂の陣以降、幸村とともに薩摩へ落ち延びている設定です。
望月六郎(もちづき ろくろう)
火薬の扱いに長け、爆弾作りの名人とされています。
W六郎の1人で、個人的呼び名では「月の六郎」。
大坂の陣では、自害して果てたとされています。
まとめ
どの人物も共通する点は、その武勇を遺憾なく発揮して勇猛果敢に戦ったという点ですね。
その点もあって、「ヒーロー物語」として人気が高く、ドラマやアニメで今なお人気が高いです。