ゲームとCADで趣味全開!

ゲームの世界をCADで現実にする。3Dモデルを作るのが得意です。他にゲームとしてプリコネやディスガイアシリーズの攻略などを書いています。

昔の日本の土地制度について

またまた歴史について書きます。

やはり日本の歴史は面白い!

小学校、中学校、高校の教育課程では基本的に最低限のことしか教えてくれませんが、このネットの時代ではいくらでも詳しく調べられますね。

こういう点ではネットは非常に便利と実感しますね。

 

今回は1300年ほどと非常に昔の話で、「土地」について書きます。

 

 

 

 

昔の日本の土地はどうなっていた?

まず、1300年前ほど昔(700年前後)の日本は時代でいうと「奈良時代」であり天皇を中心とした「公家政治」真っ只中でした。

天皇(帝)をトップとして貴族が謳歌していた時代ですね。

 

まだ主だった武士は存在せず(征夷大将軍は存在しましたが、朝廷の一役職にすぎませんでした)、少数の貴族か大多数の農民かに大きく二分類されていた時代です。

 

当然ながら貴族は農地を耕したりしません。

基本的には歌を詠んだり、書物を読んだりなどをして教養をつけて、少しでも上の位を天皇から授かろうと権力争いを繰り広げていました。

それでは食べ物などはどうしたかというと、当然下々の農民からの貢ぎ物(税収)で成り立っていました。

 

 

農民の土地について

農民の土地はどうなっていたかというと、701年に制定された「班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)」という法律によって「土地を朝廷から割り振り貸し出されていました」。

つまり、朝廷から「ここの土地を貸してあげるから耕して作物を育ててね。死んだら土地は返してもらうからね」と言われていたわけですね。

 

いやー、今考えるとびっくりですね。

何と言っても

・国から勝手に土地を割り振られる

・死んだら土地は強制的に取り上げられる

・もちろん、土地の広さに応じて税あり(この時代は不作だろうがお構いなしに毎年土地の広さで税収が決定。凶作なら飢え死にも十分あり

財産は国が一括管理というまさに独裁の時代。

農民はただ貴族を養うための存在だったのです。

 

 

加えて、この法律の悪い部分はまだあり、「6年ごとに土地が再分配」されるという点です。

必死に耕しても6年経てばまた別の土地を耕すように命じられるわけです。

まさに「たらい回し」というわけです。

 

 

 

土地管理の見直しへ

必死になって農地を耕しても死んだら没収。

生きていても、6年ごとに土地をたらい回し。

そんな法律に農民が納得するわけがありません。

次第に農民の意欲が低下して、朝廷も焦り始めるわけですね(不満は聞き及びますし、税収も低下するわけで)。

 

そこで新たに、723年に「三世一身法(さんぜいっしんほう)」という法律が制定されました。

名前から推測できますが、「本人から最大で三世代まで土地は開墾者の所有物にできる」という法律です。

前の法律は「完全に国のもの。しかも本人限りで、6年ごとにたらい回し」と比べると雲泥の差ですね。

 

これによって農民は喜んで土地を開拓…とはいかなかったんですよね。

まだ「三世代限定」の制約付きですし。

 

さらには、世の中いつの時代でも「中抜き」する悪徳者がいるわけです。

 

 

土地管理者について

この時代はまだまだ朝廷を中心とした中央政権国家の時代です。

朝廷が日本全てを管理することはできません。

それは今も同じで、地方ごとに管理者を置いて、朝廷はその管理者から税を得ていたわけです。

 

ここでいう管理者は各地の貴族や寺社仏閣の偉いさんですね。

(世は神道や仏教が崇め奉られていた時代です。祭司や坊さんにも権力者がいました)

地方の権力者も美味しい思いをしたいのは同じです。

この「三世一身法」の法律により「開墾推奨」とされたわけですが、それを裏目に農民にどんどん開墾を指示して、税収アップ→朝廷へ納める量はそのまま、中抜き量アップを図ろうとした権力者が続出しました。

 

つまり、農民は結局開墾しても中抜き権力者に搾り取られて前に比べて良くなったという実感がないわけです。

逆に、地方貴族や寺社仏閣の権力者が財を成してより富裕になったわけです。

 

 

 

さらに朝廷は改革へ

その20年後の743年に「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)」という法律が制定されました。

読んで字のごとく「開墾した土地は未来永劫その開墾した人の財産となる」という見た目からして画期的な法律です。

 

これによって農民は耕せば耕すほど自分の土地が増えて裕福に…

なーんていうことになりませんよね。

勘の良い方ならお気づきですが、上に書いた通り「中抜き悪徳者」がいるわけですよ。

 

 

 

荘園の成立へ

中抜き悪徳者によって、「農民はどんどん土地を耕せ。そしてどんどん年貢を納めろ」と各地で陣取り合戦の様相が出始めます。

次第に各地の有力者は土地をたくさん持ち始め「荘園(しょうえん)」と呼ばれる朝廷直轄領の土地(=国衙領(こくがりょう)、公領)以外の、地方権力者が所有する土地が増え始めたわけです。

 

 

 

時代は流れて武士の成立へ

開墾推奨令の墾田永年私財法によってどんどん開墾地は広がっていきますが、土地は有限です。

広がれば広がるほど、別の開墾者と接するわけです。

そこで何もないわけがなく。

 

土地の奪い合い」が起こるわけですね。

だって、土地は永劫自分のもの。

土地は広ければ広いほど作物が多くとれるし、裕福になれる(もちろん税はありますが、一定量納める以外は自分のもの)わけですから。

 

ではどうすれば自分の土地を守れるか。

話し合い?そんなわけないですね。

力こそパワー、「武装」というわけです。

自分の土地を守るため、あるいは増やすための武装した農民が各地で大量に出てくるわけです。

これが武士の始まりです。

 

そして、自分の土地を管理する管理者がいるのは上で述べた通りです。

当然、その管理者も自分の管理する土地を奪われまいと武装するわけですね。

これが各武士をまとめる武士の棟梁です。

 

これが次第に全国に出没することになり、直接的な武装力を持たない公家の力は衰えていき、力を持つ武士が台頭するわけです。

そして1185年に初の武家政権である「鎌倉幕府」が成立するというわけです。

 

 

 

まとめ

いつの時代も土地持ちが裕福になり、権力を持つというのは変わりません。

もちろん現代では土地持ち=首相ではありませんが、その土地の有力者=政府と強いつながりを持つという構図は同じですね。

土地=金=権力の構図は遥か昔からあったというわけです。

今回はその大まかな流れをまとめてみました。

この程度の流れは中学生でも習うわけですが、簡単に書けば3000字以内でまとめられますね。

今一度、歴史の授業を思い返すことも面白いですね。