勉強が嫌いな人は多いでしょう。
もちろん好きな人もいるでしょうが、そういう人は「勉強」ではなく「学習」と考えていると思います。
自分も「勉強」は嫌いで「学習」は好きです。
誰かに強いられてやることなんて好きじゃありません。
今回は中学や高校で習う勉強が役に立つかについて考えてみます。
役に立つかは人生次第
いつも通り結論から書きます。
身も蓋もないことですが、役立つかどうかは「どんな道を歩むか」次第です。
研究者ならともかく(特に理系研究者なら毎日が頭脳フル回転なので)、一般企業に勤めるならはっきり言いますが、「あまり役に立ちません」。
はっきり言って大学の知識なんて自分の仕事では知っていなくても何とでもなります。
難しい計算なら今時ソフトを使えば一発ですし、知らない方程式や定理なんてネットで調べればいくらでも出てきます。
このご時世、情報進歩が著しいのでネットとソフトを駆使すればほぼ何とかなります。
では勉強の意味は?
自分が考えるに、勉強する本質は「学習する習慣をつけること」が最も重要だと思います。
例えば50歳になっていきなり微積分や大学の講義を受けるとなるとまずついていけないでしょう。
忘れられた知識以上に、身体の衰え、そして若いときに勉強をする習慣がないとなると一歩を踏み出すことすら困難です。
しかし、若いときに苦労して勉強をした習慣があればそうでない人より圧倒的な差があります。
方程式や定理なんて使わなければ忘れます。
数学の教授と言えども全ての方程式を覚えているわけがありません。
人間だれしも記憶力に限界というものがありますからね。
しかし、少しでも学習しておけばちょっと齧るだけで思い出したりするものです。
0と1の差は、あまりに大きすぎます。
勉強の本質は覚えることよりも「習慣として身に着けること」に大きな意味があると思っています。
まとめ
仕事をする身になって振り返るのですが、現役の時の勉強は嫌でしたね。
「こんな知識、日常生活で使うわけない」と言うのは今も変わりません。
専門技術者になった今でも上記の通り、ほとんど使いません。
高校の2次関数の問題ですらもはや解くことが困難だと思います(ソフトを使えば一瞬で計算できてしまうので)。
でも、基礎知識がないとソフトを使うことに苦労はしますし、「資格を取れ」と言われて勉強する習慣がないと非常に苦労しますよ?
やはり、勉強できるときに勉強をしておかないと人生の半分は仕事で費やされるのでつらい目を見ます。
小学校で6年、中学校で3年、高校で3年、大学で4年
ここまで合わせても16年です。
人生80年とすればたった1/5です。
基本65歳まで働く今の時代、つまり40年働くとすれば圧倒的に働く時間の方が長いわけです。
そりゃあ中学校や高校の時は面倒だと誰もが思うわけですが(今時間を巻き戻せて高校時代に戻っても勉強は嫌だと思います)、中学校と高校の6年なんてあっという間です。
この6年で勉強をする習慣がつかなければ絶対に後悔します。
大人の言うことはやはり正しいですよ?
人生経験の差は小さいときは分からないものです(まだ自分は人に説教できるほどおいていませんし若すぎますが)。
少なくとも「安易に勉学の道から逃げることはやめておいた方がいい」です。
確固たる目標があるなら別ですが、面倒だからと言うだけで安易な道を選ぶと後悔する可能性が高いです。
気に食わない教師がいるかもしれませんが、それは人生の失敗例とでも心の中で思っておいて「こうならないように」と前向きに考えて勉強に励むことをお勧めします。